gloopsが発展するまで

2011年に生まれ、現在に至るまで多くのインターネット向けソーシャルゲームの提供を行なってきた会社として、gloopsがあります。このgloopsの運営を行なってきた、創始者であった人物として、梶原吉広という人物がいました。現在では代表を退いていますが、gloopsが現在のようによく知られる会社となったその背景には梶原吉広の力があったことは間違いありません。それでは、梶原吉広がどのようにしてgloopsを生み出したのか、その経緯について簡単に紹介します。

梶原吉広がgloopsを生み出したのは2011年のことでしたが、これは飽くまでも社名変更のタイミングであり、実際にこの会社の前身となる会社が生まれたのはもっと前、2005年のことでした。この時梶原吉広によって設立された会社はグローバル・メディアソリューションという会社であり、現在とは業務内容自体が大きく違っていました。最初は紙媒体向けの広告代理店としての活動が中心であり、創立から3年程はその内容が中心となっていたのです。

その梶原吉広によるグローバル・メディアソリューションが大きな転換点を迎えることになったのが2007年のことで、丁度世の中でSNSというものが広く知られるようになり、多くの人に活用されるようになっていた時期でした。梶原吉広はこのSNSが非常に大きなビジネスチャンスになるものと考え、独自のSNSであるプラットフォーム、nendoを開発しています。このnendoはパーソナルホームページとSNSとの連携という発想から作られたものであり、斬新なものではありましたが、その当時はそれほど流行ることはありませんでした。

そんな梶原吉広がより大きな発展をもたらすために作り出したのが、ゲームでした。モバイル向けのソーシャルゲームの草分け的存在として、渋谷クエストというゲームをリリース、これが大きな反響を呼ぶことになりました。実際にリリース当日には30万人もの登録者があり、小規模だったサーバーがダウンするというようなトラブルが起こる程でした。当時について梶原吉広は、10人程で回していたサービスであったため、寝る間も無かったというように後に語っています。

その後、このゲームを用いた迂回が上手くいったことを受けて、2011年に社名がグローバル・メディアソリューションからgloopsに変更され、その後も多くのソーシャルゲーム運営の活動を続けることになりました。